普通って何だろうと思った次男のこと
過去エピソードです。
次男が小1の時の話。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
先日、キッチンの壁にこんな絵が貼られていて
何これ、めっちゃ上手やん!
なんていうの、遠近法?
「かかって来いや!」的な?
で、長男に
「この絵、どういう状況なん?」
って聞いたら
「え、それ僕じゃないよ」
と。
・・・・え、うそ。
まさか、次男?!
そのまさかの、次男が書いた絵だったんです。
何故こんなにも驚いているかというと、
次男はそもそもとっても発育が遅くて、教育センターに通ったり訓練をしたりして
4歳を過ぎてからやっと単語を、そして文章らしき言葉を幼稚園の間に少しずつ少しずつ喋れるようになった、
という経緯があります。
2年保育で幼稚園に入り、幼稚園に入ってからめきめきと言葉も増え、
丸さえも書けなかった絵が丸の中にチョンチョンと目や鼻を書くようにもなりました。
それだけでも私にとってはすごい事だった。
たとえ、周りの子がお父さんやお母さんの顔を書いてる時に何を書いてるかわからないような絵を書いていたとしても、
丸を書けるようになっただけで、
目らしきものをかけるようになっただけで、
ただそれだけの成長でも嬉しくて
次男を抱きしめてすごいね!頑張ったね!と泣いたこともあった。
でも、幼稚園の担任の先生に個人懇談時に言われたことがありました。
お遊戯会の時の絵を書きましょう、というお題の時
次男は何を書いたらいいか理解できず、何も書けず、泣きだしてしまったと。
それで、副担任の先生に手伝ってもらい、何とか山の上にきのこ?みたいな絵を書く事が出来た。
その絵を私に見せたその先生は
「これ、どう思いますか?」
と聞いてきたので、
「すごく頑張ったなと、上手に書けてるなと思います」
と言いました。
だけど、先生は
「お母さん。小学校まであと1年しかないんですよ?
こんな絵が通用すると思いますか?」
と言ったのです。
私は、
「次男は、1年前まで丸も書けなかったんです。
そんな子がこんなに書けるようになったのはすごい事だと思います。
今まで成長が遅かった分、この一年の彼の成長はすごいと思うし、その分これからののびしろは無限にあると思います」
と言ったけれど、先生は他の子たちの絵を指差して
「お母さん見て下さい、みんなこんなにちゃんと書いてます。
普通はこうなんです。
こんな風に書けるのが普通なんです。
小学校に行ったらもっと絵を書く機会も増えます。
あと1年しかないんですよ?」
とおっしゃった。
急速に成長した次男にとって、あと1年しかないんじゃない。
あと1年もある、と私は思っていたし、
普通って何?
他の子と比べることに何の意味があるのだろう。
子供の成長なんて1人1人違うのに、なぜ同じにさせたがるのだろう。
自分が他の子に負けて悔しいと思う事はいい事だと思う。
でも、それは本人が思わないと意味がないわけで、
絵が上手い子、運動が得意な子、苦手な子、
色んな個性があっていいじゃないか。
みんな違ってみんないい、本当にそう思う訳です私は。
確かに、成長の目安というものがあって、そこから目を背けてはいけない事もわかってる。
これからの行く末を先生が心配して言ってくれていることも理解している。
でも、普通って何?
悔しい思いをグッとこらえて、先生に
「普通って、何をもって普通というんですか」
と聞きました。
「みんなと同等のレベル」
とおっしゃったと思う、もうハッキリ覚えてはいないけど。
私は、絶対に次男はこれからもっと成長すると思っていたし、もし成長しなかったとしても
それは個性であると受け止める覚悟もあった。
だから、その日は悔しくて泣きました。
こんなに毎日次男は前に進んで頑張っているのに
普通という先生の物差しの域に達していないというだけで。
だからこそ、次男がこんな絵を書いて来たことに驚いたんです。
この先生の話の1年後に、です。
そして、それと同時にあの時言われた言葉を思い出し、あの時の悔し涙を思い出し、
見てみろこの絵を!!!
と、何かそんな事を思ったわけです。
その先生はこのブログを見てないだろうから書いたけど、
見ててもいい。
いやむしろ見て欲しいくらいだと。
普通の枠にとらわれて子供ののびしろを見失わないで欲しい。
それは、私自身にも言い聞かせるべきことであって、
これから先きっと他人と比べてしまうこともあると思う。
他の子には出来てどうしてあなたには出来ないの?と思ってしまうこともあるかもしれない。
いや、むしろ比べなければいけない事が、
競争しなければいけないことが、
これからもたくさんあると思う。
でも、そんな時は少しでもあの時感じた気持ちを、この絵を見て思い出そうと思います。
私のこんな文章ではもしかしたら言葉足らずで誤解を招いてしまうかもしれないけど、
先生の批判をしたかった訳では決してなくて、
ただその事があの時どうしても納得出来なくて、いつまでも心の奥に引っかかっていたけれど
逆に、それまで以上に次男の小さな成長を喜んだり
今となってはそれこそごくごく「普通」の1年生である次男がこうして頑張って来たから今がある、
というその道のりをまた思い出すことが出来たことには本当に感謝しています。
4歳まで喋れなかった次男ですが、言葉や話を理解はしていたので色々辛い思いもしたことでしょう。
児童館で子供に話しかけられて自分なりに返事をしても、
「この子何言ってるかわかんない!変!笑」
と笑われた日は涙をこぼしていたから。
たとえどんな子でも、「普通」の枠からはみ出した子だったとしても、一生懸命頑張ってる。
頑張って成長しているのです。
それだけは今あの先生に伝えたい。
この絵を見せながら。